自己紹介をさせていただく。十津川の清流が産湯。故郷の川をこよなく愛し、野山を駆け巡った。東大寺学園から1浪して奈良医大医学部に入学。学生時代は野球部に所属し、汗と涙 ? にまみれた泥臭い青春を送った。血液型はA型。人に言わすと「典型的なA型」らしい。自分では感受性が高く、人一倍傷つき易いと思っているが、どうやら他人の目にはそうは映っていないことに最近ようやく気づく。奈良医大卒業後は産婦人科大学院に進み、研究活動のため京都大学ウイルス研究所から沖縄に渡航、1年半の間沖縄本島に滞在した。もともと十津川で育った私が沖縄の海の魅力の虜になったのはいうまでもなく、研究活動と臨床の合間を見つけてはスクーバダイビングを楽しみ、沖縄は私の第二の故郷となった。沖縄で勤務したのは、当時月間の分娩数が100件を越える個人病院で、一晩に10人以上の分娩を取り扱った当直も今では懐かしい思い出である。ウイルス研究所の所長をされていた日沼頼夫先生が私の研究生活の恩師であり、沖縄の個人病院の院長当山雄紀先生が私の産婦人科臨床の恩師といえる存在である。人生には様々な出会いがあるが、私にとってこの2人の存在は今でも大きな存在であり、よき出会いを与えてくれた運命に感謝している。
奈良医大産婦人科助手、榛原総合病院医長、県立西宮病院医長、済生会奈良病院部長勤務の後、現在は中野司朗レディースクリニックを営みつつ、環境問題や統合医療など今後の人生のライフワークを模索している今日この頃である。一応、仕事ではプロの職人を自負している。ありがたいことに、私を頼って遠くから来院してくれる患者さんもいるところを見れば、人並みの医者にはなれたのか。年齢はもう直ぐ50に手が届く、最近夕方になると新聞を見る距離も遠い。自分ではいつまでも若いつもりだが、現実はえこひいきなどなく正直なものである。物忘れも多くなったことを実は気にしている。
一見平凡な日常の中で、様々な人生を垣間見る。医者は患者さんを選ぶことはできない。「はてさて、今日はどんな患者さんと出会うことか。気分よく一日を終えることができればいいが。
次回よりどこにでもいる医者の独り言をこっそりと聞いていただこう。