まだまだ暑い日々が続いているが、学生たちの夏休みも終わり、けだるさの中にも新しい何かが始まろうとしている。8月生まれの私はまた1つ年を重ね、これからの人生をいかように過すのか、考えることの多いこのごろである。日々の臨床に追われながらも、そんな夏の終わりにふと思い出すのは研究時代である。 私の研究生活は沖縄で過ごし、ふた夏を経て夏の終わりに奈良へ帰郷した。
大学卒業後、産婦人科の大学院に入った私は、その年の秋京都大学ウイルス研究所に研修し、2年目の5月に沖縄に渡航した。当時私の研究テーマは人で初めて発見された癌ウイルス、ATLウイルス(成人T細胞白血病ウイルス)の母児感染経路の解明である。ATLウイルスはエイズの病因であるHIVと近縁で、 ATLウイルスの感染者(キャリア)は日本の南西諸島(九州・沖縄)に多く、毎年キャリアの約1600人に1人がATL(成人T細胞白血病)を発病する。その感染経路は母から子への垂直感染が強く疑われており、その母子感染経路を解明するために感染者の多い沖縄へと向ったのであ る。
昭和58年当時の沖縄は、那覇から北へ向かうメイン幹線国道58号線沿いに英語の看板が立ち並び、どこか外国へでも来たようなエキゾチックな地で、国道沿いの産院に臨床を学びながら検体を収集し、琉球大学の1室を間借りして研究活動に勤しんだ。当時勤務した産院は月間分娩数が100以上あり、研究活動も さることながら医師になって2年目の臨床も覚えたい盛りの私にとって、豊富な症例数とアメリカ的な臨床を導入した院長の教えは今も医師として私の大きな財産であり、私にとって当時の院長は産科臨床の師と仰いでいる。
研究生活は孤独ではあったが、院長をはじめ産院のスタッフは研究の意義をよく理解し、快く協力してくれた。研究は、当初那覇市外の旧琉球大学(今は那覇市民病院)で始まり、途中から浦添市の山上に完成した新しい琉球大学の研究棟に移った。ATLキャリアの方が出産した子どもの血液から(ATLウイルスが 感染する)リンパ球を分離培養して、感染の有無を蛍光顕微鏡で確認するのである。9階建ての真新しい研究棟は当時私以外誰も使用しておらず、真夜中大きな研究棟にたった1人、部屋の明かりを全て消して蛍光顕微鏡をのぞきながら、ふと仕事の手を休めた時、真っ暗な海に浮かぶ漁り火は幻想的で何か言い知れぬロマンを感じた。
山育ちの私には、毎日顔を変える海は脳裏にしみこんだ素晴らしい記憶である。沖縄で覚えたスクーバダイビング、生物の故郷である海の多種多様な生物たちとの出会い、ボートダイビングの帰り際に見た大きな赤い夕日とクルーザーの白い航跡、髪を撫ぜる潮風の香りは今でも昨日のことのように鮮明に蘇る。
何よりも忘れられない瞬間、初めて感染リンパ球を確認したあの日。蛍光顕微鏡に浮かびでた独特の黄色の光は、なんと言えばいいのだろう。多くの臨床研究家が毎日どこかで研究をしても、「自然界での新しい発見」を誰よりも早く目にする幸運な研究家は世界中でもほんの一握りしかいない。あの感動できる心をいつまでも大切に、この世に生を受け、もし天命があるのならば、その声を心に刻んで毎日を感謝の気持ちで生きていこう。夏の終わりにひとり考えている。