その11 開院準備

私は現在休業中である。2006年3月3日の「中野司朗レディースクリニック」開院に向けて準備期間に入っている。今まで医師として仕事にたずさわって いる時には感じたことはなかったが、外来業務が全くないというのは言いようのない不安に陥るものだと実感している。まったく、日本人 ? は貧乏性にできてい るのか、はたまた自分自身がちっぽけな人間にできているのか。ひとりで、ああでもない、こうでもないと迷走しながらパソコンに向かい合っていると、いっそ全部忘れて遠くへ行ってしましたいと逃避思考にかられつつ、結局医者しか能のない自分の生き方に回帰する。

開院に先立って、はたして私はどんなクリニックをつくりたいのか、自分自身の理念を自問してみた。まず最初に「全人的医療」を志すクリニック。そこで、 ある学術集会の特別講演でお聞きしたあるホスピスのエピソードを紹介させていただく。ホスピスとは現代医療で治療手段がない末期ガンやエイズなどの患者さんが、人生の最後のときを生きるための施設である。

そのホスピスには多数の看護師さんが勤務し、日夜献身的な看護をされていましたが、中でも特に患者さんに人気のある看護師Aさん。Aさんは一見ごく平凡な女性で、器量も気立てもとりわけ際立っているわけではありませんが、どの患者さんも例外なくAさんを好いていたそうです。医局では医師たちが、どうして Aさんが特別好かれるのか議論しましたが、結局「確かな理由は分からない」というのが結論でした。ある日、長い間入所していた患者Bさんが、いよいよ人生の終焉を間近に感じつつ、そのホスピスの院長先生に語ったそうです。

「院長先生、長い間本当にありがとうございました。おかげ様で人生のしめくくりの大切な日々を、一日一日心から満足して生きることができました。お世話になったお礼に、ひとつ良いことを教えましょう。先生はAさんが患者さんに人一倍好かれる理由がお分かりですか。それは、死を身近に感じ、研ぎ澄まされた 神経を持った人にしか分からないと思います。Aさんが病室に入ってくる時、私たちに挨拶や声かけをする時、彼女は身も心も全てが私たちに向いています。私たちにはその事が敏感に感じとれるのです。」

このお話を拝聴した私は、頬をひっぱたかれた様なショックを受けた。「私にとっては多くの患者さんのうちの一人でも、患者さん一人一人にとってその日の診療の全てである」、という当たり前の事を忘れていたのである。

どんなに忙しいときでも、スタッフ一人一人が100%その患者さんに向き合う「全人的医療」を志し、毎日を一歩ずつ積み重ねてゆく、そんなクリニックが私の夢の始まりである。

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